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最高裁判所第一小法廷 昭和58年(行ツ)34号 判決 1985年10月03日

水戸市大工町一丁目二番三〇号

上告人

株式会社 田園

右代表者代表取締役

李晃子

右訴訟代理人弁護士

佐藤義弥

上田誠吉

岡部保男

水戸市北見町一番一七号

被上告人

水戸税務署長

内津昌喜

右指定代理人

亀谷和男

右当事者間の東京高等裁判所昭和五四年(行コ)第五九号課税処分取消、課税処分無効確認請求事件について、同裁判所が昭和五七年一二月二〇言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人佐藤義弥、同上田誠吉、同岡部保男の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴証法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 谷口正孝 裁判官 和田誠一 裁判官 角田禮次郎 裁判官 矢口洪一 裁判官 高島益郎)

(昭和五八年(行ツ)第三四号 上告人 株式会社田園)

上告代理人佐藤義弥、同上田誠吉、同岡部保男の上告理由

第一、仮名預金の帰属について

原判決には、その甲事件の事実認定にあたり、証拠の採否、証拠にもとづく事実の推認などにつき、経験並びに採証法則に違反した違法があり、さらに理由不備及び理由の齟齬があって、それらの結果、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実を誤認したものであるから破棄すべきである。

佐藤繁、大山鉄男、沼尾猛各名義預金の帰属について

一、一審判決は、佐藤繁名義の預金は、上告人会社に帰属するものであるとし、その理由として、(1)開設当初の資金が李三奎の借入金の一部をもって充てられたこと、(2)上告人の当座預金から小切手によって払戻された金が佐藤名義の口座に預入されていること、の三点をあげ、これらの理由によって、佐藤名義の預金は上告人のものであって、これに売上除外の金が預入されていた、というものである。

原判決もまた、右の三点の理由につき、それぞれ多少の加除補正の理由を加えたうえで、結局同旨の認定をおこなうに至った。

二、その経過を右一、(1)の理由、すなわち開設当初の資金が李三奎の借入金の一部をもって充てられたこと、に限って詳述すれば、一審判決は、(イ)昭和三五年九月一二の資金の動き、(ロ)同年九月一三の資金の動き、(ハ)同年九月一四日の資金の動き、の各事実を認定していたのであるが、原判決はそのうち(ニ)の一部を削り、(ホ)のあとに続く七行を削ったうえで、あらたに、(ヘ)、(ト)、(チ)、(リ)、(ヌ)の事実認定を付加し、そのうえで推理を加え、結局は一審判決と同旨の結論に到達している。

三、右、新たに付加された(ヘ)の認定は次のとおりである。

「(ヘ)控訴人の栃木相互銀行本店における当座勘定元帳には、昭和三五年九月十五日、小切手番号が記帳されている中では一番最後の、したがって振出日は証拠上不明であるが、一番最後に振出されたものと推認される額面一一三万四八三九円の小切手が決済され、それより若い番号の小切手三通が同日以後決済され、同月二二日差引残高が零となり解約となった旨の記載がある。」

この記載と、一審以来のかわらぬ認定である「(イ)原告会社はその代表者城山奇花(本名朴奇花)の夫、城山三奎(本名李三奎)が事実上経営するいわゆる個人会社で、昭三二年設立以来栃木相互銀行本店と当座取引してきたが、昭和三五年九月十二日右李三奎が常盤相互銀行宇都宮支店から金五〇〇万円を借受けたのを機として栃木相互銀行との取引を解約して常盤相互宇都宮支店と取引することとし、……」という部分とをあわせて考えるならば、上告人会社は栃木相互に有していた当座の残金をひきだしこれを常盤相互に移すことにした、という趣旨によみとることができる。

ところが、なぜか一方で上告人会社が栃木相互から常盤相互へ当座預金を移転「することとし」た事実と、栃木相互の当座残金がその直後に全額支払われた事実を認定しながら、他方で栃木相互から流れ出た上告人会社の当座の残金一一三万四八三九円がどこに行ってしまったのか、事実認定のうえでその行方は不明のままになっている、少くともその金は栃木相互に預入されなかった、というのである。そのことについて特段の理由はあげられていない。これは理由のそこにあたる。

四、一、二審判決は、昭和三五年九月一五日に開設された常盤相互の佐藤繁、松本稔、上告人会社の各口座などに預入された原資は、九月一二の同銀行からの貸付金に端を発する二七五万円にある、というのである。しかし、二審判決は、さきにみたとおり、同じ九月一五日に、栃木相互の当座から最後の残金一一三万四八三九円が決裁されて、これが現金になったことをみとめた。そこで、原判決の認定によれば、この日、上告人会社、又は事実上その経営にあたっていた李三奎の手許には、常盤相互に新しく開設された口座に預入することのできた原資は、少くとも常盤相互の貸付金に発端する二七五万円のほかに、栃木相互の当座の残金を現金化した一一三万四八三九円が存在したのである。これらはすべて現金及び現金と同視すべき別段預金の形をとっていた。つまり、資金は、現金として少なくとも三八八万四八三九円存在したのである。現金に印がついているわけではない。まとめてしまえば、分別できるわけがない。

次に展開する常盤相互の上告人会社の当座開設にあたって預入された一一三万四八三九円は、この三八八万四八三九円(うち二七五万は李三奎のもの、一一三万四八三九円は上告人会社のもの)のなかから支弁された。そこで、この上告人会社の当座は、栃木相互にあった上告人の当座の残金によって開設されたものとみるほかはないではないか。

原判決はこの金は貸付金に発端し、九月一三日に現金保留された一五〇万三五七〇円と、九月一四日に現金支払された四九万円に、出所不明の現金六、四三〇円を加えた二〇〇万円のなかから支弁された、というのであるが、九月一五日には先にみたようにこのほかに栃木相互から現金化された一一三万四八三九円が現金として上告人の手許に有したのであるから、常盤相互の新設口座の金が栃木相互からの金ではない、ということをいうためにはよほどの特段の理由の説示がなくてはかなわぬ道理であろう。この理由を欠く原判決には理由不備の違法がある。

この際、伝票の連続はなんの意味をももたない。それは同一人によって、同一機会に支払、預入がなされたことを示唆するだけであって、一たん現金になってしまったものの原資の流れを示すものではないからである。

五、これらの諸点を、立証責任の問題に移しかえて再考してみよう。上告人は昭和三五年九月一五日、その名義の栃木相互の当座残高引出しの事実を証明し、被上告人は同日、上告人名義の当座が前記引出額と同額をもって、常盤相互に開設されたことを立証し、上告人はこれを争わない。これだけの事実によって、常盤相互の新しく開設された上告人口座は、栃木相互の口座が移転したもの、という認定が優に可能であろう。この推定を打破るために、被上告人の側で、栃木相互から流出した金が、他に流れたか、あるいは、常盤相互に開設された当座の金は他から流れてきたものであることを立証しなければならない。本件全証拠を通じて被上告人の側で、栃木相互で現金化された一一三万四八三九円が、どこかに流れ去ったことの証明はない。さらに加えて、常盤相互の当座開設資金が、他所からきた金である、との立証もない。被上告人が主張し、原判決が認定するこの金は貸付金に発端するという事実は原判決もいうように、「そもそも確証はありえず、単なる推測に過ぎない」のであって、前記の強い推定を破るものにはなりえない。

六、原判決はしきりに、「一一三万四八三九円と八六万五一六一円との伝票が連続していること、これらがいずれも端数でありながらその合計が奇しくも丁度二〇〇万円になっていること」を論じているが、この日、九月一五日には、栃木相互からの現金一一三万四八三九円は上告人の手許に現金として存在したのであるから、これを同一人が常盤相互に持参して上告人名義で預金し、あわせて同時に遠山名義別段預金に八六万五一六一円を預入れゝば、伝票が連続するのは当然のことであるし、その合計が二〇〇万円になることをそんなに感心して眺めていても詮方ないのである。

この二〇〇万円にこだわるために、九月一四日の現金支払四九万円と、九月一三日の現金保留分、一五〇万三五七〇円との合計額との差をうめるために、想像上の不明現金六、四三〇円を無理に上乗せすることによって、辛うじて資金の流れる線をつないでみせる、という曲芸まがいのこともやってみせる必要はないのである。

原判決は「これを(想像上の不明現金―代理人註)加えることによって、昭和三五年九月一二日から一五日までの城山李三奎給付貸付金五〇〇万円に端を発する収去の動きが前後矛盾なく一応説明できること」を論じているが、ここでの間違いは、原判決は五〇〇万の貸付金のほかに、九月一五日の栃木相互の当座からの資金、一一三万四八三九円を加えた合計六一三万四八三九円の「収支の動き」を説明しなければならなかったのであって、五〇〇万円の説明に辻褄を合わせるために、一一三万四八三九円を故意に視野の外に追い出してしまうのは、著しく恣意的であって、合理性を欠く。

また原判決は「何故に遠山謙二の別段預金が二〇〇万円から一一三万四八三九円を差引いた数字にあたる八六万五一六一円という端数であるかは理解し難く」、というけれども、むしろ、原判決が疑問を呈すべき設問は、「何如に上告人会社の当座預金額が二〇〇万円から八六万五一六一円差引いた数字にあたる一一三万四八三九円という端数であるのをは理解し難く」とというべきであった。

一一三万四八三九円という端数は、まさしく栃木相互の残金を最後の小切手で決済したときの数額であったから、実はなんの不思議も疑問も生ずる余地はなかったのである。

再度、念を押しておくならば、一一三万四八三九円という半端な金額は、最後の小切手が振出されたときの、この口座の残額の全額であって、これが栃木相互の本店で現金になって、それがそのまゝ同日に常盤相互宇都宮支店にもちこまれたのである。そう考える方が、よほど証拠物に忠実である。資金の流れを想像でつないで、つながらぬところは不明現金をほしいまゝに加算して、つじつまをあわせる、というやり方は、証拠の採り方として、明らかに恣意的である。

このようにして、李三奎が借りうけた五百万円を原資として、佐藤名義の預金口座が開設され、他方、栃木相互の上告人口座の残金を原資として、上告人の当座預金が開設された。個人と会社の資金の流れは、きちんと分別されていた。それは二本の流れであって、一本にまじわることはない。

ついでにいうならば、昭和五五年九月一五日、遠山謙二別段預金から上告人会社の新設口座に三五万円が払込まれたのは、貸付金の返済として入金されたのである。甲七号証ノ一、栃木相互宇都宮支店の上告人口座の、昭和三五年九月五日欄に記載のある三五万円の引出は、上告人の李三奎に対する貸付金であった。これが常盤相互宇都宮支店に預金口座が移った日、つまり同年九月一五日に、李三奎から上告人会社に返済入金されたのである(甲七号証ノ二、一審昭・四七・一二・一四、北平光雄証言)。これらの事実は、むしろ個人と会社とが「峻別」されていたからこそ、会社から李三奎個人への貸付金は、会社に返済される必要があったことを示している。

もし、一、二審判決のように、李三奎個人の借受金の一部によって、上告人会社の新しい当座が開設されたのであるならば当初の開設資金は、李三奎の上告人会社に対する貸付金として処理されなければならない仕義であるが、「帳簿処理上、……(そのような)処理のなされた形跡は認められず」、会社の金であることに誰一人疑問のないまゝに処理されていたのである。

七、つぎの問題は、上告人振出の小切手が城山奇花の裏書きをえて、佐藤名義の口座に預入されていたことについてである。この点はすでにくわしく主張されているように、李三奎が立替えている会社経費の一部を清算するために、会社経理から李三奎に対して弁済されたもの、李三奎からの借入金利息などであって、その詳細はすべて各個別に主張、立証がつくされている(甲九号証の一、二、一審並びに二審北平光雄、李三奎証言)。

原判決は、一審判決が「右李三奎の所持する金員をもって、原告の諸経費を支払い、これに相当する金員が右のように原告振出の小切手をもって右預金口座に預入されている事実が窺われないではないが」とした部分を訂正し、「……預入されているとの部分があるが、……右の各証言部分は直ちに措信できず」というようにあらためてしまった。

しかし、この点について、一審判決を訂正するに足るほどの主張、立証が二審になってから登場したという形跡は全くない。

むしろ、北平・李証言によって補強されこそすれ、これを減殺する証拠の提出は皆無であった。

そして二審判決は「各証言部分は直ちに措信できず」としたが、しかし、甲九号証ノ一、二の総勘定元帳の記載については、特段なにもふれるところはない。

たとえば一例だけを挙示すれば、甲九号証の一、昭和三七年八月一五日の欄には、家賃十五万円の貸方記帳があり、これが小切手で支払われて、佐藤預金に預入されているのであるが、これは社長が家賃を立替支払い、のちに会社経理からその弁済をうけたことを示すのであって、このような支払いと預入のあることが、どうして、佐藤名義の預金が会社に帰属することの証左となるのかは、理解しがたいところであって、原判決もまたそのことに特にふれているわけではない。もし、原判決の認定が正しい、と仮定すると、この家賃は佐藤名義の預金から再度支払われたことになるのであろうか。それならば、どうして、二度の支払いという面倒な手間をかける必要があるのであろうか。家賃の如きは、その支払いについて、全く問題の生ずる余地のない損金であって、これを、一たん公表預金から裏預金に移転したのちに、再度支払わなければならない理由は、誰しも考えにくい。

立替支払を後日に弁済した、と考えるほうがはるかに合理的である。

原判決は、控訴人代理人の一審判決攻撃に理のあることを見てとって、この部分の認定に少しく手を加えて補正したが、かえって、いっそう大きな経験則違背をやってのけた、というべきであろう。二審判決もみとめた一審判決は、「原告の全立証をもってしても、原告の帳簿処理上右立替金処理のなされた形跡はみとめられず」というけれども、これは問題のすりかえであって、立替金債務の弁済という法律上の性質と、立替金処理という会社経理上の取扱いとを不当に混同させることによって、この支払の法律的な性質をないがしろにするものである。

会社経理の未熟や不整備で、ことを決すべき性質の問題ではない。

八、最後の問題は、佐藤名義預金への日々の入金をもって、売上除外額の入金とみるかどうか、の問題である。

次の諸事実を考慮すれば、この点に関する上告人の主張、立証は十分な合理性をもっている。

1 仮名預金のスタートについて

被上告人の主張からすれば、何が故に三五年九月一五日から売上除外がはじまったのか、その合理的理由が全く不明である。原判決の引用する一審判決は、被上告人は「それ以前に売上除外がなされなかったとは主張していない」というけれども、このような顧みて他をいう論法は、その合理的理由を欠くことを一層はっきりと示したものであろう。

これに対し上告人の主張は次のように合理性をもつ。

三五年九月一五日に上告人の栃木相互銀行の当座預金の残額全額を払戻して、同日常盤相互銀行宇都宮支店に新たに当座を開設したことは前記の通りである。

そして、右同日に佐藤繁名義の普通預金が新規に常盤相互銀行宇都宮支店に開設されていることも争がないところである。これは栃木相互銀行では金融をうける見込みがないので、この時点で常盤相互銀行から金融をうける目的で工作をはじめたと見るのが正しい。

2 上告人の売上とリンクすることも融資をうけるための計画としては合理性をもつ。

即ち、常盤相互銀行から融資をうけるとしても、遊戯場が営業であって融資の対象から外されるし、個人であっては朝鮮人なるが故に差別的に取扱われることを経験上知っていたが故に、喫茶店等を営業とする上告人会社であれば融資の対象として選定され得ると考え、李三奎は、右会社の隠し預金であるものの如く仮装して、毎日の預金を右佐藤繁名義の普通預金の開設と同時にはじめたものである。従って、上告人の売上げと一定の割合をもつように、毎日の預金の額を調整したものである。融資をうけるためとしても、毎日預金すれば足るのであって、一定の割合であることを必要としないのではないかとの見解もあろうが、李三奎証人としては、貸付の問題が日程にのぼったときに毎日の預金が無条件で上告人の預金と認定され、異論が生じないことを期待して、前記のように上告人の売上とのリンクをはかったものである。

3 仮名預金が、上告人の当座取引銀行と同一銀行になされていること。

これもまた上告人の主張の合理性を裏付けるものである。

控訴人の主張の通り、仮名預金が会社に帰属するもののごとく銀行に信用させるため操作としては、同一銀行におこなうことが必須な条件である。もし、会社が、売上除外をした金員をかくして預金するのであれば、同一銀行に預金するなどということは通常は考えられないことである。

4 現実の入金の割合が上告人の安定収入を仮装していること。

乙一二七号証の一の例をとってみると左の傾向の存在することがわかる。

三七年四月から六月までは、上告人の売上の七分の三を本件預金に入金している。上告人の売上は、四月が一八三万余年、五月が一七六万余円、六月は一六二万余円と下降してきている。それに対応して、安定収入があるように見せるため、七月四日より七分の三を六分の四に変更している。更に上告人の売上が下降していったため、八月一日より五分の五の割合に更に変更した。その結果、上告人売上と本件預金への入金高を合計した金額は、四月、二六一万円、五月、二五二万円、六月、二三二万余円、七月、二四三万余円、八月が二七二万余円、九月は二〇〇万余円と云うことがわかる。これは、上告人会社が安定した収入を得ていることを銀行に信用されるために本件預金への入金が運用されていることを示すものである。

もし、売上を除外して預金したものとすれば、売上が多い時には除外預金が多くなり、売上が少い時には除外預金が少くなるのが普通である。従って、仮名預金に対する入金は、売上の隠匿ではなくて、上告人の主張のように、上告人の売上を仮装し、その安定売上を誇示したものと見るのが合理的である。

5 一定比率の計算の難易

売上に対して一定の割合を計算して預金することは困難な計算を要すると見えるかもしれないが、その実、売上に一定の比率をかければ算出できるものであるから極めて簡単な計算でできることである。

6 仮名預金口座解約の経緯

佐藤繁、大山鉄男ついで沼尾猛名義となった普通預金は、昭和三九年二月八日に入金がおわり、三月一九日に払戻しがおわった(乙一一八号証、乙一二七号証ノ三)。被上告人はこの解約についても合理的な理由を主張していないが、李三奎証人の立場から云えば、当時、既に水戸への進出が本格化し、昭和三二年一二月第一丸善、三七年一一月第二丸善、同一二月喫茶田園、三八年七月田園洋酒サロン、三八年一二月キャバレーモンテカルロなどが既に水戸で開店し、宇都宮の資産はあげてこれを処分する方針がきめられたのである。宇都宮に於て融資をうける必要がなくなったのみならず、後述のように同一銀行である常盤相互銀行水戸支店より現に借入が成功し、ひきつづき借入れができる見込みとなったので右日時に仮名預金を解約し、前記信用を得るための仮装行為も終結したのである。

7 本件工作の効果

前記のように、本件融資工作があり、李三奎証人の信用が高まった効果として、宇都宮でなく水戸に於て李三奎、朴奇花連名で、常盤相互銀行水戸支店より昭和三七年二月六日に金一、〇〇〇万円の融資をうけるのに成功している(甲一二号証)。

更に、会社が水戸に移転した昭和四〇年には、同様に、李三奎、朴奇花連名で同じく常盤相互銀行水戸から合計九、〇〇〇万円の融資をうけられるまでに至ったのである(甲第一三号証)。このときは、会社が保証人兼担保提供者になっている。

このことは、前記のような一定割合の入金が会社の売上除外の入金ではなく、まさしく李三奎証人が述べるような銀行より融資をうけるための工作であり、それが所定の効果をあげ、李三奎個人及び会社の事業についての銀行側の評価が着実にあがっていったことを示している。

8 本件仮名預金への入金が廃止になってからの上告人売上の推移

被上告人は、沼尾猛名義の普通預金が解約され、従って控訴会社の売上の別名預金への入金がなくなったあとでも、控訴人の第一、第二事業年度の同期の売上に比して変化がないと主張している通り、現実に変化がないのである。

これにつき、被上告人は、何らかの方法で売上除外をしているものと主張するが、如何なる方法で売上除外をしたかの推定すらできないのである。これはむしろ本件預金への入金それ自体が売上除外の入金ではないことを示すものである。

9 本件工作の資金源について

甲八号証の一~六は、一審四八年五月九日李三奎証人の証言にもある通り、李三奎の個人営業の税務申告の数字であり収入とあるのは厳密に云えば所得である。これによれば、昭和三八年の李三奎氏の所得額は四三九万円余で、昭和三七年は、六五三万、昭和三六年は二三八万円である。

ところで、例えば、乙一二二号証をとってみれば、毎日の預金について、一定の時に適宜払出をしているので、毎月末の残をみると、三五年九月末九八万余円、一〇月末四四万余円、と云う具合にせいぜい一〇〇万円程度の金があればこの運用ができたことは明白である。従って、李三奎の所得をもってこの運用ができたことは明らかである。

李三奎は、多数の個人営業をもっていた。資金はそれぞれに動いている。仮名預金に入金する資金にはこと欠かなかったのである。

第一、第二ボンボンの売上げはそのまゝそれぞれの口座に預金していたとしても、それらの営業預金から引出した金の処分は、李三奎の自由である。金にしるしはついていない。

「反覆干満性」はむしろ李三奎がもとめて作為した結果であって、本件の場合にそれが「裏預金であることの証明には役立たない。

日々、仮名預金に入金する資金は、通常は四、五十万円の金をたらいまわしにすることによって優に可能であった。ときに残額が二百万円をこえる時期があるのは、それに見合う個人資金の入金があったことが預金元帳(乙第一一八号乃至一二〇号証)の記載によって明白であるから、あえて異とするに足りないのである。これらの元帳にはしばしば大きな金額の個人資金の入金がみられるのである。

個人預金であることに争いのない松本稔名義口座(乙一三五号証)、西沢敏雄名義口座(乙一三三号証)にも毎日のように頻繁な入出金が存在していた。これらの事情をあわせ考えると「入金に見合う預金源や預金事情が他に存する疑い」はきわめてつよかった。

原判決はこれらの点について、仮名預金の源資についての証言は「具体性に乏しくにわかに措信しえないほか、多額の多数回にのぼる預入であるから、仮に個人営業利益金の操作であれば、それなりの金員の移動について明確な資料にもとづく反証を容易になしうる」はずだ、というけれども、多額の多数回にのぼる預入であるからこそ、その資金源の明細を明らかにすることは至難であって、容易にそのような資金操作が可能であったことの情況的証拠をもって十分であり、そのような証明としては尽くしている、と考える。

10 原判決は、一審判決が李三奎証人が、銀行に対して売上除外をしている旨説明したことがなく、銀行が上告人に安定した収入があることを察知し得た保証はないのであるから上告人の主張は合理性が欠ける、とする判断をそのまゝ容認して引用している。

しかし、そもそも銀行に虚偽のことを申しむけてだますと云う趣旨ではなく、預金の態様で銀行に察知して貰う趣旨で前記のような預金の態様をとったのであるから、銀行に上告人の売上を除外しているのだなどと偽を云うことはそもそも趣旨に反するのである。しかし、右預金の態様により、乙一二三号証の証明書の通り仮名預金について、支店長が、株式会社田園もしくは李三奎の預金である旨の証明書を発行しており、銀行自体確実に株式会社田園のものとは確認しないまでも田園のものではないかなと云う認識をもつに至ったことを示している。しかも、前記の通り、株式会社常盤相互銀行の水戸支店から三七年及び四〇年に巨額の資金の借入ができた次第で、そのために、本件宇都宮支店における右態様の預金が一定の役割を果していることは容易に推認できることである。結局、一、二審判決は売上に対して一定割合の預金であると云うことにこだわりすぎて、仮名預金が上告人に帰属する旨の誤認におちいったのである。

九、原判決は、佐藤名義預金の当初の預入額六四万〇一〇二円は「李三奎に帰属するものといわざるをえない」として、この預金口座の設定時には、この預金は李三奎個人のものであることを認めざるをえなかった。そして、また「通常預金口座の開設資金の帰属が、その後、その預金口座に預入され、支出された金員の帰属を決定するものではある」として、この一般的な推認の原則をみとめている。この強力な推認を打ち破るに足る程度に、この預金が上告人に属することを示す間接事実が果して十分に提出され得ているだろうか。

上告人のこの点に関する主張は、相当の合理性を備えている。

これにひきくらべて、原判決の挙示する諸事実は、各個にみてそれぞれに論破されているのである。たとえば「控訴人の当座預金口座も右李三奎名義の借入金の一部によって開設されている」などという点は、すでにこの上告理由書の冒頭に詳論したとおり、その破綻は明瞭であろう。

原判決もいうように、「宇都宮税務署は、当時栃木相互銀行を調査したことはなく、したがってその解約時ないしその直前の残金が常盤相互銀行宇都宮支店の当座預金の開設時における預入金額と合致するものであることは知らなかった」のである。この重要な事実を知らないまゝで、宇都宮税務署は、出所不明金などで帳尻を合わせながら、一審判決末尾添付の資金系統図をつくりあげてしまい、いったんつくりあげた資金系統図にとらわれたまゝ、一、二審判決にいたるまで、そのまちがった系統図の上を走りぬけてしまったのである。一審になって、栃木相互の預金が証拠として出てきた段階で、それまであやまって固執してきた系統図への執着を捨てゝ、常盤相互に開設された上告人名義の当座は、栃木相互が移行したもので、もともと上告人会社の資金であったことを素直にみとめ、このこととも密接に関連して、佐藤繁名義預金の帰属をも、見直してみるべきであった。

しかし、被上告人はあえてその途を選ばなかった。ところが行政当局のこの誤りをただすべき裁判所さえもが、一審も二審もこの誤った系統図にとらわれて、いまだその誤りを正そうとはしないのである。

もし、被上告人や一、二審判決のいうが如くであるとすれば、上告人は昭和三五年九月一五日に栃木相互で現金化した金は、会社経理の外にどこかへ流出費消してしまい、同日、常盤相互から李三奎が借り出したお金で端数も同額の上告人口座をつくり、被上告人がその準備書面でうそぶいた様に「たまたま栃木相互銀行の小切手の金額と一致しても、売上げいんぺいを図る者であれば、そのように見せかけの操作をすることも十分あり得ることである」などという薄ぎたない悪罵を投げかけて、税務当局の信をいっそうおとしめる結果となることに気がつかないのである。

九月十五日、資金は現金で一つになっていたのである。金に目印がないことをもう一度再考して貰いたい。原審裁判所は「そもそも確証はありえず、単なる推測に過ぎない」世界に歩み出したあげく、一審同様に随分無理な資金系統の夢物語を再びつくりあげてしまったのである。会社の当座から振出された小切手の佐藤繁口座への預入についても同様である。個々の預入を検討すれば、それはたとえば「馬山会」からの借入金や、交際費などについてはその損金性を否定する議論は一応別としても、明白に損金に計上すべき支出が数多く含まれている。

これを「控訴人の簿外資金による立替払の清算」(原判決)というがためには、簿外資金であるとされる佐藤繁名義預金からの損金支出をまず認定したうえで、その立替金の清算として、会社の口座からの預入があったことを論証しなければならないはずなのに、その論証は一切省略して、理由不備のままで、そのように「認めるほかないこと」として、佐藤繁預金が会社に帰属する理由のひとつにあげる始末である。どうして、会社の当座から堂々と支払うことのできる家賃までも、簿外資金から支払ったうえで、それを公表預金から移しかえる理由と必要があるのか、そのことを説明しないでは、このような認定は経験則上許されないと考える。

原判決のいう、公表売上からの一定比率による佐藤繁口座への預入についても、すでにくわしく論じたとおりであって、佐藤、大山、沼尾と続く預金と、松本稔、西村敏雄、中野哲夫の預金と、「その預入、支出の状況からみて別種のものと認められること」(原判決)は、むしろ上告人がそのようになることをつよく期しておこなった結果であるから、それらはすべて上告人のねらいであった。

このように、佐藤らの預金を会社のものとする認定は、採証法則と、経験則に違反し、理由の不備、理由のそごを重ねた違法のものである。

以上、主として佐藤名義預金について論じたことは、これに続く大山、沼尾名義預金にもそのまゝ妥当するので、大山、沼尾名義預金についてもすべて援用し、あらためて項を起して論ずることをしない。

第二、簿外仕入れの推計に関する原判決の判断は、明らかに常識に反し、こじつけ論理であり、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背がある。

一、原判決は、簿外仕入れに関して、一審判決のうち次の部分を削除した(原判決四五丁6)。

「また原告は、被告はその簿外売上に対応する簿外仕入を具体的に主張立証できないでいる旨反論するけれども、証人福富達夫の証言によれば、同人が昭和四〇年二月頃原告の取引先である宇都宮市内の虎屋食品株式会社並びに株式会社渡辺商店他数ケ所を調査した結果、昭和三九年九月頃右虎屋食品から前記北平光雄が簿外取引にしてもらいたいと言って現金で仕入を行った分が同月分で公表分の三五パーセントにも及んだ事実、右渡辺商店についても昭和三五年中に約半年間に及ぶ簿外仕入の事実が確認されたことが認められるから、本件事業年度においても、簿外売上に対応する簿外仕入が存するものと推認することは、未だ合理的な推計の範囲を超えたものとはいえず、右簿外仕入の推認をもって前記売上の認定を否定することはできない。」

そのうえで、原判決は簿外仕入に関して次のとおり判示した(原判決四七丁裏)。

「なお、本件事業年度の簿外売上げに対応する簿外仕入の存在については、被控訴人の全立証によるもこれを直接認めるに足るものとするには多少躊躇せざるを得ないわけではないけれども、既述のとおり、仮名預金口座への預入の事実自体から簿外売上げを極めて高度に推認することができ、これについての控訴人の弁疏がなりたゝない本件においては、右に述べたところは簿外売上げの認定を左右する事由とはなし難いものというべきである。」

原判決の判示するところは、結局、仮名預金口座への預入の事実自体から簿外売上げを極めて高度に推認できる以上簿外仕入れの有無は関係ないというものである。

二、しかしながら、簿外売上げの根拠となっている仮名預金口座の預入金の帰属については、前記第一、においてすでに詳論したように原判決および一審判決の判断には、重大な誤りがある。従って、簿外売上に対応する簿外仕入を全く無視して簿外売上の認定が許されるとする原判決は全く乱暴な議論であって、明らかに経験法則に違背するものというべきである。

被上告人が簿外売上に対応する簿外仕入が立証できないのは簿外仕入が実際には存在しないか、あるいは簿外仕入の調査が不可能又は困難であるかのどちらしかない。

被上告人は、一応の簿外仕入の調査をおこない、一審判決では、不十分ながらも、簿外仕入の存在を推認し、それをも根拠にして簿外売上について認定したのであったが、原審において被上告人の右調査の不十分さ、不完全さ、さらにそれが本件簿外仕入に該当しないことが上告人によって具体的に反論、反証された結果、原判決は、一審判決の該当部分を削除せざるを得なかったのである。なお、原審における上告人の昭和五六年二月一四日付準備書面第三、簿外仕入の推計について(二〇頁~三七頁)において、具体的に簿外仕入不存在を論述しているので、これを引用する。

三、さて、問題は、本件該当年度当時、簿外仕入の調査が不可能又は困難であったかどうかである。

昭和四〇年当時の宇都宮市は人口二六万五〇〇〇人世帯数六万五千である(日本統計年鑑昭和四〇年版総理府統計局二〇頁)。人口のうち約五五%が人口集中地区に居住している。栃木県の昭和四〇年度の人口は一五二万人であるから、宇都宮市の人口は、その約六分の一にあたる(同一四頁)。

そして、昭和三七年度の全国の産業別卸・小売事業所の総数は約一五〇万軒であり、そのうち酒・調味料の卸・小売事業所は約一〇万軒である(同二八一頁)。。すなわち酒・調味料の卸・小売事業所は全体の六・六%である。栃木県の同年度の卸・小売事業所の総数は約二六三〇〇軒である(同二八二頁)。このうち酒・調味料の卸・小売事業所数は、前記全国の場合の比に準じるならば、約一六三五軒である。宇都宮市については前記の人口比に準ずるならば、その約六分の一であるから、約二七〇軒程度ということになる。理論上の調査対象総数としてそう多い数ではない。

ところで、酒販売店は、原審証人茂田惇の証言にも明らかなように酒税法により、酒類の製造販売について、税務署長から製造免許、販売業免許を得なければならず、かつ、製造、販売に関する事実について記帳義務を負う(同法四六条)など、税務署長の厳しい監督下におかれている。

従って、被上告人が宇都宮の税務署の協力を得て同市の酒類販売業者を把握し、上告人との取引の有無を調査することは極めて容易であって、何らの困難がないことは明らかである。

加えて、上告人の事業の性質上、毎日相当量の酒類を長期間にわたり継続して購入するのであるから、その取引先は上告人事業所からそう遠くない範囲内にあって、相当規模の店舗でなければならないから、取引先は自ずと限定されざるを得ず、しかも空ビンなどの回収などもあるから同時に複数の取引先を競合させることは混乱を生じるおそれがあるから不可能である。

そして酒類の搬入・回収などは外部からも容易に覚知できる。

そうしてみると、上告人が被上告人の酒類取引先を調査・確定することは益々もって容易であるというべきである。

被上告人が上告人の酒類取引先の調査をおこなうことは右のとおり、まことに容易なことであって、この容易な調査をおこなっても、酒類について簿外売上に対応する簿外仕入が立証できないとなれば、それは、簿外仕入が存在しないと考える以外にないことは明らかである。

原判決は、右の単純にして明快な論理を全く無視しており、明らかに経験法則に違背しているといわざるを得ない。

そして、簿外仕入が存在しない以上これに対応する簿外売上も存在しないと考えるのが常識であり、論理の筋道であるにもかかわらず、これを全く無視して、簿外仕入の有無にかかわらず、簿外売上を認定するという経験法則に明らかに違背する暴挙ともいうべき判断をおこなっている。

なお、右のように簿外仕入が否定された以上、仮名預金の口座の帰属についても、被上告人の主張は全面的に否定されざるを得ないことはいうまでもない。

第三、第三事業年度における法人所得のうち売上もれ加算に関する原判決および一審判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな経験法則違背がある。

一、第三事業年度については、常盤相互銀行宇都宮支店「沼尾猛」名義の口座は、昭和三九年二月九日以降預入された事実がなく同年三月一七日までに預金残高が全部払戻され、その後取引はない。ところが、一審判決は、第一、第二事業年度に比べ、売上に顕著な増減がないこと、確定申告によると第一、第二事業年度を上廻っていることから、同年九月末日まで第一、第二事業年度と同様の方法により売上除外していたと推認し、原判決はこれを容認している。

二、しかし、第三事業年度においても、第一、第二事業年度と全く同様に仮名預金の口座の帰属の問題および簿外仕入の問題がある。これらはすでに述べたとおりであるから、繰り返しは省略する。

三、第三事業年度特有の第一の問題は「沼尾猛」名義の預金口座が全部払戻された後、どのような方法で売上除外をしたかという点である。

これについて一審判決は、上告人がどのような方法で売上除外をしたかについて、被上告人において明らかにできなくとも推計方法が合理性を認められる範囲を逸脱するものとはいえないと判示する。原判決は右判示をそのまま容認している。しかしながら、仮名預金口座の帰属に問題があり、加えて簿外仕入についての立証を欠く以上、推計の根拠がほとんど崩れかけているのである。そうである以上、当然のこととして、売上除外をしているとするならば、その除外方法―除外された売上がどのようにして誰のところへ帰属していったかという事実が必要である。その事実を欠いたまま売上除外を認定することは許されない。右の事実が明らかになった場合においてその金額の推計の合理性の有無が問題になるのであって、問題は推計の合理性の判断の一歩手前において売上除外があったかどうかの問題の証明が必要なのである。一審判決も認めるように被上告人においては売上除外の事実そのものについての具体的な主張すらなしえなかったのである。

四、第二の問題は三九年一〇月以降の確定申告との関係である。

一審判決によれば、第三事業年度は第一、第二事業年度と売上に著しい増減はないから、第三事業年度についても前同様の売上除外があったというのである。他方で、一審判決は、被上告人が異をとなえない昭和三九年一〇月以降の原告の公表売上額は第三事業年度と大差がないことは認められるとする。そうとすると、前記の一審判決の論理に従えば、「被上告人が異をとなえない昭和三九年一〇月以降の売上額と第三事業年度の売上額には著しい増減がないから、売上除外はなかったと思料される」ということにもなるのである。つまり一審判決の論理は、どっちの結論にも容易に達する全く無内容のものである。そうであれば、売上除外についての主張・立証責任を果していない被上告人の主張は当然排斥されなければならない。

さらに、三九年一〇月以降について、被上告人が異をとなえないということは、異をとなえるべき資料を被上告人において有していないということに他ならない。それは、簿外仕入についても売上除外にしても、その事実が存在しなかったからである。従って三九年一〇月以降から逆に第三、第二、第一事業年度を推計することによっても本件処分の違法、不当性は明らかである。

第四、原判決は、乙事件即ち、源泉徴収に関する告知処分無効の主張についての判旨に於て、採証法則違背、審理不じんの違法があるうえ、重大な事実誤認があるので取消を免れない。

一、この点に付いては、原審に於ては、控訴人昭和五六年一二月一四日付準備書面第六項、五七年一月二九日付準備書面第二項、第三項、五七年三月八日付準備書面、五七年五月十七日付準備書面に於て、控訴人としては自己の主張及び被控訴人の主張に対する反論を展開している。

被控訴人は、五七年一月一四日付準備書面(六)、同年二月三日付準備書面(七)、第二、第三項、同年四月一日付準備書面(八)、同年五月二四日付準備書面(九)に於て、反論及び、自分の主張を展開している。

これらの論争の跡を辿ってみると、上告人は当然であるが、被上告人も、認定賞与の帰属者は、李三奎であることを認めざるを得なかった観がある。

被上告人は、上告人の事業について「李三奎は朴奇花の夫として事実上控訴人の経営の実権を掌握」していたものである。「朴奇花は名目上の代表者であって事実上控訴人の経営をしていたわけではなかった」ものである(被控訴人、五七年一月一四日付準備書面(六))と主張する程であって、朴奇花は事業に一切関与せず、事業は李三奎が経理、営業、人事に付いての経営権の一切を掌握し、社長と呼ばれて、会社経営をなしきたったものである。従って一審判決も「原告会社の代表者(実質的にはその夫である李三奎)が消費したものと認めざるを得ない」と判示し、被控訴人も「実質的には李三奎が消費したものと認められる本件使途不明の社外流出金は、一旦、代表取締役である朴奇花に支払われ、同人から更にその夫である李三奎に流れた」と擬制的主張をせざるを得ない始末(被控訴人準備書面(六))であり、更に、「右社外流出金が朴奇花を経由することなく直接李三奎が費消したものであるとしても、朴奇花に対する認定賞与としたことに誤りはない」として、朴奇花の取締役としての忠実義務などを色々のべたてているが、(被控訴人準備書面八の(二)項)、その主張が、説得力に欠けるものであることは明白である。

以上の経過で、認定賞与の帰属者が李三奎であることを前提とし、この帰属者の認定のあやまり、つまり受給者をあやまった場合の源泉徴収義務、及び告知処分がどうなるか、と云うことに上告人、被上告人の論争点がしぼられ、この点に付いて原審の判断が得られれば、源泉徴収制度の法的性格の解明に寄与するものとして、期待されていたのである。

二、原判決は、この法的解明をさけ、「社外流出金は朴奇花に帰属したもの」と判示し、云わば、争点の法的判断をさけ、事実認定の問題にすりかえてしまったのである。

右の事実認定は、朴奇花が認定賞与の課税に付いて、不服申立をなさったこと、李三奎は証言に於て、認定賞与が自己に帰属した旨の証言をしていない、又、その趣旨の立証が他にもないことを挙げているのである。しかし、法律判断をさけ、事実認定の問題に解消しようとしている原判決は、その事実認定に於て採証法則に違背し、審理不じんの違法をおかし、明白な事実誤認をなしているものである。

そもそも本件は、常盤相互銀行宇都宮支店の佐藤繁名義(これが、大山鉄男名義、沼尾猛名義にひきつがれている)の預金が、上告人会社に帰属するのか、或いは、李三奎個人の仮名預金であるのか、をめぐって争われ、これは更に、上告人の公表売上に対する一定比率の毎日の右口座に対する入金が、売上除外であるか、どうかに連動することになるのである。上告人は、右仮名預金が、李三奎個人の預金であると主張し、李三奎も又右仮名預金が、自分のものであると主張し、その趣旨を公判廷の証言でくりかえしのべている。

従って、李三奎は、原判決の右社外流出金の存在自体を争っているのであるから、社外流出金が自己に帰属した旨の証言をしていないが、右社外流出金の存在が認定され、これが、前記仮名預金に流入したと認定される限りは、その仮名預金は、李三奎が自己の預金として、その管理、支配すべて、同人の専権でなしてきたものであることは、原審の李三奎証人の証言で明らかであるのみならず、原審の北平証人の証言でも明白である。

従って、李三奎証人が、社外流出金、認定賞与が自己に帰属した旨のべなかったとしても、これが、流入した預金口座を同人が、自分のものとして管理、支配していた旨証言する以上、右口座に支払われた金員は社外流出金、認定賞与と認定されるとすれば、その帰属者が自分である旨のべている趣旨であること明白である。かりにそれだけでは、李三奎に対して帰属した旨認定するのに不十分だとすれば、その点を補充尋問すればよいのである。どのように考えても原判決の事実認定は、われわれを納得させないのである。

以下若干詳細にのべる。

三、沼尾猛名義の普通預金口座に対する流入及び右口座の支配、管理者

1 売上もれの流入

原判決は、別紙(四)の売上除外金が、前記沼尾猛の普通預金口座に、昭和三八年一〇月二日から三九年二月一日までの間に預入れられ、その金額が合計八二五万九二六五円となっている旨認定している。

2 雑収もれの流入

原判決は、右個人名義仮名預金の利息収入が合計一万五九六四円あり、これが佐藤繁名義或いは沼尾猛名義の前記口座に流入している旨認定している。

3 馬山会からの借入金利息八〇万円

これは、第一、第二事業年度に於て、前記仮名預金に流入しており、第三事業年度に於ては、仮名預金が、二月以降消滅しているので、これへの流入が記録上は存在しないが、第一、第二事業年度と同様に、李三奎へ支払われているものと推認されているのである。

4 更に原判決によると、昭和三八年九月三〇日の前記沼尾猛名義の預金口座の残額及び昭和三八年一〇月一日の売上除外金四万六〇五〇円も、右口座に預入れられている。

5 右仮名預金の支配、管理者が李三奎であること。

会社の役員或いは見なし役員が、会社を事実上支配運営し、売上除外金などの使途不明金が、会社に帰属すると見られる仮空名義預金に支払われ、右仮空名義預金の支配、管理をしている者が、会社を事実上支配している見なし役員である場合には、右使途不明金が当該預金の支配、管理をしている見なし役員に帰属するものとされ、同人に対する認定賞与とされることは、税務上の取扱いとしても一般的であるのみならず、各種裁判例に於ても、是認されている所である。原判決のこれと相違する事実認定は、採証法則に違背し、審理不じんであるのみならず、事実認定は証拠と経験則によるとの原則を逸脱し必要によって、左右すると云う恣意的なもので、到底正当なものとすることはできない。

四、沼尾名義仮名預金消滅後の社外流出金の帰属について

前記の通り、沼尾名義の仮名預金に本件の社外流出金が流入し、右預金を支配、管理するものが会社を支配、管理する者と同一の李三奎であることから、右社外流出金が李三奎に帰属するものであり、他の役人に帰属するものでもない所似を明にしてきた。

沼尾猛名義の仮名預金は昭和三九年二月九日以来預入されなくなり、同年三月一七日までに預金残高が全部払出されて、その後の取引がないことは原判決の認定する所である。

従って、同年二月から九月までの、社外流出金に付いては、それが流入した仮名預金の支配、管理をもって、その帰属をきめることができない。しかし、三八年一〇月から三九年二月初めまでの社外流出金が、李三奎に帰属したものと認められるべきことは既述の通りである。二月初めまで、社外流出金が李三奎に帰属する以上、その後、帰属者がかわるべき特段の事情の主張、立証がない限り、ひきつづき、李三奎に帰属したものと認めるべきことは、又、採証法則上明らかである。

而して本件に於ては、帰属者が朴奇花にかわったことに付て被上告人からの主張、立証がなされていない。

従って、昭和三九年二月以降についても朴奇花が社外流出金の帰属者であるとする原判決は又、採証法則に違背し、事実誤認をなしているものである。

五、朴奇花が認定賞与の課税を争わなかったことを認定賞与の帰属認定の資料とすることは許されない。

朴奇花は、認定賞与の課税に付て、異議申立をしたが、それ以上の争はせず結局、課税金額の支払をなした。

しかし、朴奇花がその認定賞与を争そうとすれば、審査請求から取消訴訟へと、本件訴訟とは別訴へ発展せざるを得ず、その弁護士等への費用の方がはるかに過大になるのである。自己の経済的負担で争わなければならない現在の制度のもとで、朴奇花が争をしなかったことは、それなりの経済的理由があるもので、これをもって認定賞与の帰属の決定の材料とすることは、実体を無視した不当な推論と云わざるを得ない。

認定賞与の帰属は、右社外流出金を現実に支配したものは誰かと云う、実体に基づいて認定しなければならない。

以上

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